意識の介在
意識とは何か
量子力学ではもつれた量子という(エンタグルメント)最近よく注目あびる現象をご存じでありますか?よく電子などでスピンが+とーで現される電子の絡み合いで説明されるがイメージがピーンとこない、 かいてる本人もわからないのではと思ってしまう、スピンが+ーで絡み合った粒子を互いに逆方向に飛ばし、宇宙のはてでもいいや その片割れを観測して、プラスがでたら片割れの電子のスピンは必ずマイナスである。というと当たり前である、しかし観測する電子と宇宙の果てまではなれてもその現象が同時に現れるとしたら、おいおい同じこと話している、いやごめん一方を果てまで離れてから観測する、最初この電子は量子的重ね合わせで,+かーで不確定であるというか、 この重ね合わせは+、-も決まっていない観測するまでどっちがどっちもわからない、ほんとうに不確定なのであるから片割れの電子のスピンが決定するのはもう一つの宇宙の果てまでとんでいった電子のスピンが観測によって判明した時だ、その時同時に変わる、
光より早く宇宙の果てから果てまで同時に伝わって変化する。なんか表現まずくてわかるかな?最初からコインの裏表のような関係ではなく、コインの裏表がくっいちゃってみたらコインではないようなそんな関係なのだ。これはベルの定理というが実験で確かめている。そんなバカな!とアインシュタインははんたいしたがどうもこれが正しいようだ。解説はそのくらいでお許しいただいてこの後のお話しに進みたい。ところでスピンと何か?素粒子はどれもスピンをもっている。今論ではスピンは角運動量次元で素粒子の本質的に持っている量子誤差とでもいう量である。プランク定数hの半分
1/2を持つ量子的観測量である。その粒子がこのような魔訶不思議
な姿を見せるとは、!も0うこれは粒子ではないのである。あくまで粒子と思うとわかんない!で も粒子ではない考えると、そうなんだ!とならないか、ならないか、(がっかり)しかし二重スリット実験でも意識が大変な立役者でした。観測するとは意識が介在することですそこで意識を介在することで粒子が成立する粒子になる前は粒子になる要素の何かが足らない、そうすると距離も時間もない!まだ不確定だと考えるわけです。スピンが一つの電子は角運動量の左回りか右回り,二個重なってプランク定数分の最小限度の不確定になるわけだからその半分はないのです。つまり粒子にはなれないのです。ですからもつれた量子は意識によって繋がるのです。こう考えると意識が定義できそうです。意識とは観測とおして不確定場に規律を与えるものだ!規律とは時間量T=ML^2/h dearuであるから距離とその方向性縦と横X軸とY軸つまり拡がりとその間測量つまり㎡質量(時間量の重ね合わせ)要請がその不確定場に当てはめられる。具体的に説明すると電子が二重スリットを通過する時スリットは意識的に作った実験装置でこの機材は意識場の中である。しかし観測はしていない.感光紙に当たったとき観測したのである.この時電子が収束したのだから、その当たった時か その後それを確認した時か?意識なら後者だがこの電子が当たった時、この意識がこの実験に介在して意図したものだから収束は感光紙にぶっかったその瞬間であろう
ここも議論分かれるところだ。意識は私が 気にかけないところで無意識がはたらいている。量子が粒子に収束するとき観測したというのだ。シュレディンガーの猫などのいつ収束したか?昔から論争があったが猫は死んだか?生きているか?の答えは観測しなくても量子ではなく巨大マクロな猫の存在はたくさん観測を無意識の層でなされているから死んだか?生きているかの不確定の存在はないのである。
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