一瞬の意味するもの

なぜ一瞬を絶対量としたのか

一瞬は時間の流れはない 少なくともそう感じられる時間だ . しかし細密で計測すれんば時間が流れる 一瞬は時間量だ. 人間レベルでは一瞬は時間を分けられない それ以下のレベルでは時間が流れることが解る時間があれば2つに分けられる なにを当たり前のことを話すのか

この感覚がわかってほしいからだ2つ3つ分けられることが一瞬ではないからだ, このように生命によって一瞬にちがいがあると考えるからだこれが時間量の違いである 生命の存在以下であると一瞬という感覚はない

細胞以下のレベルでは量子効果が始まるからそれ以下は一瞬ではな時間量の世界で説明できる つまり時間量の変質である これを時間誤差であると考えるとすれ不確定性原理である

こうして一瞬に絶大量をあたえることで主観と客観を融合させることになる つまり感覚と時間誤差を共通の舞台ののせることになる そうなるとその連続は波動性であろう一瞬一瞬の連続は波動であろう この世界は量子科学から光からすべて波動であらわせるつまり時間量の波動性である 観測すれば量子と説明でき不確定の状態は観測していないといえる 観測はその位置を知るか運動量をしるかである 知るとは計測できるかであり誤差の最小値のことであり時間量に違いがあるにせよ そのレベルでの計測値であり位置がわかるとその誤差が最小値であり運動量は不確定になる, というこであります  観測すれば収縮するということだ.

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

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