神経

      



神経を考えよう 神経にはとても不思議なことがある それは左図のようにAからBへ神経が流れるとき我々はBでは感じないで

Aで感じるように思われることである. 生物ではBは脳にあたるAは手や足など接触部分である 普通電気配線などではBまで電気が通じたらBで確認する ところがBまで届きながらAで確認(感じる)する  どうも変である Bに届いたのはAではどうやって知るのだろう そうなるにはBからAにつたわる何か無くては(信号)なくてはならない そらは脳の中で感じているのを錯覚しているのだと脳の中に体の地図があるのだとそういうことになっています しかし手の大けがが命に関わることなら往復の神経信号では間に合わない時はどうするのだろう 少なくとも同時に近い時間差でなくてはおかしいだろう. リベットの実験では皮膚接触の05秒以内に脳に直接電気刺激を与えると皮膚の刺激は消えてしまうことから脳に刺激が届く必要がある(感覚が生じるには)ことがわかる ,神経が伝わるのはもっとはやいのであるが 感覚を造るのに時間が 必要であるからだ感覚を生じるのに0.5秒かかっても(伝達自体は0.1秒)我々は同時と感じる つまりその時間をかき消す 接触した瞬間に感じると思えるように機能する神経のしくみは時間量のレベルの進化にあると思

える 一舜の誤差の増大がこの体の一体には必要だ だから意識はこの体が自分の体であると感じているわけである そう感じるためには神経AからBまでほぼ同時と感じる必要がある これにより自分の体と解るわけだ  推測であるが時間の遡り(’過去へ)AからBとはBからAいうこの流れはどこかに不確定場がなくてはならないそれでシナプスに注目だ この神経細胞の先端たの神経細胞との接合部は繋がっていないわずか20nmの間があいている これは刺激によってその接点が消えたり移動したりするためだ その他に不確定性原理がきくためではないだろうか?細胞間の時間誤差を瞬間でなくしたくさんの連携した神経細胞を同時にすると感じさせる なぜそう考えるか?

その間隙のあることと観測者神経そのものであることだ

神経細胞一つが何かを観測するといってもなにかの刺激ぐらいかもしれない それでもなにかを感ずるとは観測することである 神経細胞以外ではありえない これ以上はこれから新しい発見を待ちましょう

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

0コメント

  • 1000 / 1000