生命とは不確定場の進化

不確定性理論がこの世界の根本原理ならこれを次元式にすると

h=ML^2/T  T=ML^2/h

これを見ると=は観測した時の収束を意味しているML^2は不確定場で時間の不確定が大きくなれば不確定場も 大きくなる Tは今論では一瞬を意味しているのでこのTが大きくなると不確定場も大きくなる つまりML^2の不確定場が大きくなるであるから この時間は誤差としての時間でありこれは今論においては一瞬の時間である 時間量である 一瞬の時間とは何か 人間においては一瞬と感じる意識のことである




これが初期レベルではプランク時間というレベルまでいくであろう このプランク時間を最小の一瞬とかんがえる

そしてこの世界があると想定すると いや想定しなくても厳然として在るのであるからその在るを第一前程とするとこのプランク時間が続くためには

そのもう一つ上のレベルを想定すればつまりその最小時間をある整数倍した一瞬を考えれば良いわけでこの一瞬の中には最小単位の時間が内在化

されるそしてその上のレベルはまたその整数倍した一瞬がありその中にはその下のレベルが内在化していると考えるわけである 生物レベルでは記憶として現象化する

そしてこの一瞬のたくさんの重ね合わせがこの宇宙を構成していると考えるわけである ただ注意てほしいの宇宙が作られるわけではなく人間意識の進化である この世界がこのようにみえるのは意識による成長である 決して宇宙の進化ではない

こう考えるとこの宇宙も宇宙スケールでの一瞬でありこの一瞬の中に素粒子レベルから生物レベル 宇宙レベルまでの情報が一瞬の重ね合わせとして内在していると想定できる この世界はこの一瞬の連続でできていてこのレベルのそれぞれだ時間幅が違う つまり一瞬を感じる時間は同じであるが 客観的時間は違うと考えるわけである われわれのレベルではそこに何かがあると意識したときそこに時間が発生するわけでありそれと同時にその場が発生するわけであります その何かあるという場だけでは存在はありえないわけでその存在を在らしめているのには時間が必要であります

このそこに存在する物質とその占有する場と在るを認識するのには時間の流れが必要というわけであります この時間は今論では一瞬幅のことであり

この時間幅のかさねあわせが物質を現象化させているということです ここは別項でお話します

在る”は初期レベルの素粒子から宇宙まですべて一瞬で重ねあわされて同じ今”を持つ これは電子から宇宙まで今”をとおして直結しているわけで宇宙の

出来事は人間 細胞 素粒子まで影響を与え逆もいえる 身近なところでは人間の感情が細胞レベルまで影響を与えあるいはDNAまでコントロールして

いると考えられる これが細胞自身がおのれのいく道を知っているかのような心臓や肝臓細胞に変化していくつまり設計図の役目をするのです

人間をとおして少し具体的に考えてみましょう

私たちはものが動くということが理解できます なにをあたりまえのことをと思われますが

車が動けばそこにあったはずの車は今”はすこし先に移動しいます それを私たちは記憶に残るからスピード感があるしコマ送りのようには見えないわけです

記憶とは過去を知っていることですから人間体感レベルの一瞬を0.02秒(動体視力)ぐらいと仮定すると我々はもう少し何秒か長い時間を感じながら生きている感じがします

それゆえ物の動き変化を感じられるのです つまり人間の顕在意識はこの肉体レベルよりもう一つ上のレベルの一瞬にあることになります 肉体レベルとは

体感レベルでこの肉体を統合しているレベルのことです 歩くことでも右足だして次左足だしてなどとは意識しないでしょう 半分無意識の世界ですが意識で止めようとおもえばやめられるレベルです 

リベットの実験

リベットの実験は 大変興味深い実験である 意識とは何かというテーマで脳の感覚皮質へハルス刺激を与えそれと皮膚刺激を時間差を与えそのあいだの関連性を実験した記録である 皮膚に刺激を与えそれを感じる時間差を実験したところ人間は 500ミリ秒のタイムロスを過ぎ被実験者は感じたというわけであるが本人はそのタイムロスを感じていない

つまり皮膚刺激を実行してほとんど同時に感じたと報告するしかしながらそのあいだに 500ミリ秒の時間が過ぎているというわけである

実際その500ミリ秒の途中で大脳の感覚皮質にパルス信号を与えると皮膚刺激が消えてしまうつまり感じなくなってしまうという実験である 大脳感覚皮質はパルス信号をずっとを 500ミリ秒以上与えているとその部分に対応する皮膚のある部分がぴくぴくと感じる 500ミリ秒以下では何も感じられないあくまで皮膚が感じられるのであって刺激をあたえてる大脳皮質は何も感じない 大脳感覚皮質にパルス信号を

500ミリ秒以上与えながら皮膚感覚に接触しげきを与えると今度は 500ミリ秒以内なら皮質のパルス信号の刺激より 皮膚接触を先に感じるという実験である とにもかくにも感じるのは 500ミリ秒あとであるのだが本人は皮膚刺激と同時に感じていると報告するのである

詳しいことはリベットの実験を読んでいただくとしてこの実験のポイントは実験を受けている本人の意識は主観的な時間遡及が起こるのです つまり 500ミリ秒過去へ戻ることで皮膚に刺激した瞬間と同時と感じるのです 意識感覚として感じる一つのアウェアネスは

500ミリ秒かかって現出するのですがその時間差を意識が消してしまうというか時間に逆行してその時間差を感じなくさせ 同時におこったと感じさせるわけです しかし実際問題としてこれは大変不思議なことである 例えば手をたたけばたたいた瞬間にたたいたと感じるわけだし私たちはだれかと会話してても相手の話しに

500ミリ秒遅れて話しているとは感じられないし自分の経験からいっても何かに対する対応は同時である しかし実際は 500ミリ秒遅れて対応しているのである

この解釈は今論では説明可能である 時間とは一瞬の重ね合わせであ

る 人間の体も細胞レベルからこの一瞬の重ね合わせで成り立っている 

しかしこの一瞬の時間幅が細胞レベルと顕在意識レベルとは違うのである 

皮膚細胞レベルでは何か感じても それが顕在意識レベルでは少し時間がずれるのですが今の一瞬では同じなのです これは一瞬に絶対基準をおいてその一瞬は重ね合わせになっているためでその”

今”に違いはないのです つまりその0.5秒を一瞬の不確定場として 時間の前後を消してしまうのです こうして0.5秒時間を先に進ませ同時に感じたようにするのです つまり今を創り出しているのです もちろん細胞レベル 肉体レベルなどではこの一瞬の不確定時間はもっとせまい時間量となります 

このことは信じがたいkとですが接触と同時に感じたように錯覚するが実は半秒送れて感じるのである つまり意識はこの半秒を消してしまう あたかも同時であるかのように感じられる

この感覚は多義におよび例えばりんごを手に持てば接触部の皮膚感覚 香り 色  形などこれらを統合するというかりんごという存在の一面の属性であることを認識する この不確定の一瞬があればこそ すべての属性が同期して一つの赤いおいしそうなりんごを演出する こうした演出が今に同期して成し遂げられる  感覚とは不確定場を同期してその感覚をとおしてそれは自分の体であること その体が一つであることを感じることである そこが自分とは感じられないとすると ケガしてその部分が自分とは知らず体はなにも対応しないであろう 大変危険な状態になる 意識の上ではこの一瞬の連鎖が0.5秒の時 顕在意識として成立している しかし0.5の不確定は顕在意識の上のことで実際は0.3もそれ以下もなんらかの感覚連鎖はある 前述でお話しましたように肉体レベル 臓器レベル細胞レベルなど そのレベルにあった一瞬の不確定つまり時間量があり

それらが今に同期して生命が成り立つということである

0.5秒を一瞬として時間を感じるなら0.02秒0.05秒であろうが一瞬は一瞬でありその連鎖は感覚として感じる時間の流れは同じではないか!下のイメージを見ていただければわかりやすい

AもBも感じる時間の経過は同じ

つまり主観的時間の流れは小さなレベルでも大きなレベルでも同じということだ

これが何を意味するか今論においてはとても重要はポイントである

リベットの実験から顕在意識レベルは(後述)0.5秒前後と考えたわけです このあたりまでは意識がコントロールできることから顕在意識はこのレベルから上のレベルにあるといえます 

肉体レベルでは暑いと汗がでます 腹が減れば何かを食べたくなります こうした感覚は肉体レベルともう一つ下の臓器レベルや細胞レベルのやりとりですがこれはこの細胞レベルの一瞬の連続をもう一つ

上の一瞬の肉体レベルの一瞬に内在されている つまり正確な言い方ではありませんが記憶されているからなのです それはなにを意味するかといいますとsれが感覚の発生ではないか と考えるのです その時間量の差で下位レベルと影響持ち合う時それを一瞬と感じる感触それが何らかの感覚ではないかと考えるのです 何かを感じる時それは不確定場から一瞬の収束する その連続が生物の感覚であります それは人間であれば

自己意識となり動物であれば感覚でありましょう 感覚とはその痛いところが自分でありまよということを解ることでありそれが一瞬の収束にかかる時間量である この感覚は

おそらく細胞レベルまででしょう それより下位レベルは感覚ではないでしょう なぜなら細胞膜が細胞の一体感を創り出している最小レベルだと考えるからで細胞内は膜で

不確定場を保護しているからでその内部は感覚は必要なく不確定場と観測の連続ではないかと考えられます 細胞内は後でお話します さてこの細胞レベルでの感覚とはどのようなものでしょう この感覚とは前にお話したように想像できないものでした ただ細胞から生物ができていますからちょっぴり考えますと何らかの衝撃でしょうそれが時間量の増大ともに痛み かゆみ 熱い冷たい 快感などなど詳しいこと別項でお話しますが感覚の創造が始まります これらの感覚は一瞬の一体感にあり時間量のレベルによりそれぞれ創りだされます

さて細胞内は細胞膜で保護されその中はまさに不確定場そのものです

具体的にはまだそのしくみはこれからで詳しい説明はできません 推測するしかないのですがそのモデルの考え方をせつめいしたいと思います

前述したようにこの世界は大きなレベルから小さいレベルの観測の不確定場の観測でそレベルが収束して確定値をだしその確定値がまたそれより小さな不確定場を観測してその期待されうる確定値をだす これを図にしたのが下図です

     の観測で

その中のミトコンドリアや小胞体 核レベルとのやりとりであり

核レベルはその中のDNA RNA リボゾームほかたくさんのたんぱく質レベルおそらくこのレベルはたいへんな階層まで多重化していると考えられる 生命科学はまだ未知の分野でありまだそのしくみ

をおいかけるのにやっとというところでありあまり細かくは説明できないが例えばDNAの長さはその幅を2mm程度の拡大するとその全長は1000kmにもなるという そこからRNAが目的とするゲノムをDNAからし出す驚異的速さ そこから精妙なたんぱく質をつくりだすその意図的流れ

など知れば知るほどこんなことが偶然の連続でできるはずがないと感じられる =====後述蛋白から原子までの説明

こうしたたくさんの階層レベルの一瞬が重ね合わさってこの世界を作り出しているということです 

 上記のように生物はたくさんの一瞬レベル層の重ねあわせになっている これらのレベルは”今”を柱として一瞬量の重ね合わせで成り立ち下位レベルになるほどその時間量は小さくなる しかしながら一瞬の絶対時間感覚は同じであり それゆえ客観的時間は下位レベルになるほどゆっくり流れる 上位レベルの一瞬の間の下位レベルの時間感覚はたくさんの時間の流れを感じる (A~Bの間の時間は顕在意識の一瞬幅)であるがそれが下位レベルになればなるほど一瞬ではそのレベルでの絶対時間感覚は同じであるが 客観時間は長くなる 何度も言うように一瞬を感じる絶対時間感覚がすべての基準に優先する AからBへ時間ベクトルをとると下位レベルにいくほど”今”に近ずく 同じ一瞬の不確定量ではあるが上位レベルになればなるほど少し意識化が遅れる これがリベットの実験の結果である 逆に言えばこの実験も時間量という概念が必要になる一つであります

例えばりんごを持つ時そこにはりんごの重さ 色 形 匂い などいろんな要素が統合されて「りんごだと意識するのですがそのためにも統合して認識するのに時間が要るのですがそれはその時間幅を今に統一しなくてはなりません そのためにその時間を不確定にして統合するのです 人間の内臓や細胞など各レベルでたくさんの情報を処理しているのですが 顕在意識まであがるのはわずかです しかしそのレベルまで上がると感覚が作り出されているのです 感覚とはある時間量が必要なのです

こうして人間の体は”今”の統一体になって形成されているのです

量子的重ね合わせとは

これは単に波動の重ね合わせという意味ではなく”今”という一瞬の感覚がつまり不確定場の時間が量子的重ねあわせになっているという意味でこの一瞬は絶対量ですから レベルによる区別はありません これは不確定の重ね合わせなのです

これはレベルにより客観的時間の違いはあるのですが上位レベルが下位レベルを内在させる つまり観測した時その上位レベルの情報を下位レベルへ刷り込む必要があるからです 下位レベルの不確定場に観測による確定結果を与えるには不確定場の重ね合わせになっていなくてはならないのです

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

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