今論の発想

今論の発想

この発想は一瞬の絶対性にあります  一瞬とは時間のかからないその瞬間であります 森の中をすごいスピードでとぶ鷲をテレビで見たとき

木にぶつからないで飛ぶには人間の時間間隔では不可能だ 木にぶつかってしまう 森の過ぎ去るスピードがもっとゆっくりでなくてはとても飛びぬけないとはは時間の速さはもとりでも鳥でも同じだ となると一瞬の時間が違うのではないか? 分子生物学のdNAからたんぱく質をつくるスピードこんな世界は我々のっ世界と時間の進み  が違うのではないか  いや違うにちがいない!ひょっとしたらミクロになればなるほど時間がゆっくりになるのでは?こう考えたわけですそれには一瞬の絶対性が前提になくてはいけない

光速度一定の相対性理論のように一瞬の時間間隔という感覚の普遍性である そうなると観測のナノ現象分子原子など究極の世界までそのような 世界だとするとしつりょう質量や場もなにか関係あるではないか こうした発想でかんがえぬいたのがいまろんです数式では 書けないがこうした発想もあると何かの参考になれば幸いです


 めには

そのもう一つ上のレベルを想定すればつまりその最小時間をある整数倍した一瞬を考えれば良いわけでこの一瞬の中には最小単位の時間が内在化

されるそしてその上のレベルはまたその整数倍した一瞬がありその中にはその下のレベルが内在化していると考えるわけである

そしてこの一瞬のたくさんの重ね合わせがこの宇宙を構成していると考えるわけである

こう考えるとこの宇宙も宇宙スケールでの一瞬でありこの一瞬の中に素粒子レベルから生物レベル 宇宙レベルまでの記憶が一瞬の重ね合わせとして

内在していると想定できる この世界はこの一瞬の連続でできていてこのレベルのそれぞれだ時間幅が違う つまり一瞬をかんじる時間は同じであるが

客観的時間は違うと考えるわけである われわれのレベルではそこに何かがあると意識したときそこに時間が発生するわけでありそれと同時にその場が

発生するわけであります その何かあるという場だけでは存在はありえないわけでその存在を在らしめているのには時間が必要であります

このそこに存在する物質とその占有する場と在るを認識するのには時間の流れが必要というわけであります この時間は今論では一瞬幅のことであり

この時間幅のかさねあわせが物質を現象化させているということです ここは別項でお話します

在る”は初期レベルの素粒子から宇宙まですべて一瞬で重ねあわされて同じ今”を持つ これは電子から宇宙まで今”をとおして直結しているわけで宇宙の

出来事は人間 細胞 素粒子まで影響を与え逆もいえる 身近なところでは人間の感情が細胞レベルまで影響を与えあるいはDNAまでコントロールして

いると考えられる これが細胞自身がおのれのいく道を知っているかのような心臓や肝臓細胞に変化していくつまり設計図の役目をするのです

人間をとおして少し具体的に考えてみましょう

私たちはものが動くということが理解できます なにをあたりまえのことをと思われますが

車が動けばそこにあったはずの車は今”はすこし先に移動しいます それを私たちは記憶に残るからスピード感があるしコマ送りのようには見えないわけです

記憶とは過去を知っていることですから人間体感レベルの一瞬を0.3秒ぐらいと仮定すると我々はもう少し何秒か長い時間を感じながら生きている感じがします

それゆえ物の動き変化を感じられるのです つまり人間の顕在意識はこの肉体レベルよりもう一つ上のレベルの一瞬にあることになります 肉体レベルとは

体感レベルでこの肉体を統合しているレベルのことです 歩くことでも右足だして次左足だしてなどとは意識しないでしょう 半分無意識の世界ですが意識で止めようとおもえばやめられる

レベルです リベットの実験から(後述)0.3秒前後とかんがえたわけです このあたりまでは意識がコントロールできることから顕在意識はこのレベルから上のレベルにあるといえます

肉体レベルでは暑いと汗がでます 腹が減れば何かを食べたくなります こうした感覚は肉体レベルともう一つ下の臓器レベルや細胞レベルのやりとりですがこれはこの細胞レベルの一瞬の連続をもう一つ

上の一瞬の肉体レベルの一瞬に内在されている つまり正確な言い方ではありませんが記憶されているからなのです 細胞レベルはその中のミトコンドリアや小胞体 核レベルとのやりとりであり

核レベルはその中のDNA RNA リボゾームほかたくさんのたんぱく質レベルおそらくこのレベルはたいへんな階層まで多重化していると考えられる 生命科学はまだ未知の分野でありまだそのしくみ

をおいかけるのにやっとというところでありあまり細かくは説明できないが例えばDNAの長さはその幅を2mm程度の拡大するとその全長は1000kmにもなるという そこからRNAが目的とするゲノムをDNAからし出す驚異的速さ そこから精妙なたんぱく質をつくりだすその意図的流れ

など知れば知るほどこんなことが偶然の連続でできるはずがないと感じられる =====後述蛋白から原子までの説明

こうしたたくさんの階層レベルの一瞬が重ね合わさってこの世界を作り出しているということです

    

       

上記のように生物はたくさんのレベル層の重ねあわせになっている これらのレベルは”今”を柱として一瞬量の重ね合わせで成り立ち下位レベルになるほどその時間量は小さくなる しかしながら一瞬の絶対時間感覚は同じであり それゆえ客観的時間は下位レベルになるほどゆっくり流れる 上位レベルの一瞬の間の下位レベルの時間感覚はたくさんの時間の流れを感じる (A~Bの間の時間は顕在意識の一瞬幅)であるがそれが下位レベルになればなるほど一瞬ではなくてそのレベルでの絶対時間感覚は長くなる ただし客観時間は同じである 何度も言うように一瞬を感じる絶対時間感覚がすべての基準に優先する AからBへ時間ベクトルをとると下位レベルにいくほど”今”に近ずく 同じ一瞬の不確定量ではあるが上位レベルになればなるほど少し意識化が遅れる これがリベットの実験の結果である

済み

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

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