意識とは

意識の階層へ

 

意識と時間

 物理学ではこの世界の対称性を最も重視しますが一つだけこの対称性が当てはまらない事実があります それは因果律です 原因があって結果があるつまり時間の流れです 時間は未来へ進むだけで過去には戻りません これは意識の流れと同じベクトルをもちます これだけはすべての現象の前提となっています この意識を考慮するとこれは物理学で言う対称性の破れということになるのではないかと考えています 私の考えではこの意識が第一前提にきてこの世界が成り立っています 意識と時間とは同じ存在なのでしょうか? このテーマは古今東西もっとも大きなテーマですが先に結論いうと私の考えでは同じなのです 

なかなか納得しにくいところかもしれませんが 私たちはどんな時でも時間の拘束から抜け出せません ほんの一瞬さえ時間から抜け出すことはできません その一瞬の間に一瞬だけ時間が過ぎ勝手に過去へ飛んだり未来へ行ったり時間を止めたりどれもできません しかしながら時間が主観というより客観的な概念と思い込んでいます というのも例えば睡眠を例にとると寝ているつまり意識が無いのに時間が過ぎていく目が覚めたら朝だった これは意識とは別に時間が過ぎていくという考え方ができますが これは意識の階層で説明できます この世界ははるか下の潜在意識レベルで成り立っています 眠るということは顕在レベルとその近くの下レベルでのことです 潜在レベルではこの世界を感じています それと時間を感じるのは人間とか高等生物だけでどんな生物でも感じるわけではないという反論もきそうです これは確かにそうです しかし私のいう意識とは感じるということです どんな微生物でも感じる感覚はあると思います 意識がなくては何も感じられません この場合の意識は人間のような自己意識ではなくもっと原始的なとでもいう意識でこの意識がなくては逆に感覚というものもないと考えています つまり意識にもたくさんの階層があるということです この意識はどこまで下がるのか私は量子までつまり何かが存在するという次元まで行くと考えてます これが意識のレベル階層です これは後述しますここまで来ると何か科学的でないと思われるかもしれません そこでこの科学的つまり客観性と主観の接点に意識 = 時間の思想を導入するのです

意識の絶対基準とは時間の流れる感覚のことである 今の科学では意識はある生物レベルから発生してくるという考えであるから物理学の根本原理にかかわるとは考えていない しかし私はこの意識が時間そのものであると考えている 間は別のものだと考えてしまうのです これを解決するのは意識レベルによって時間の流れが違うと考えれば解決するのです 意正確には時間の流れの感覚とも言うべき量で一言で言うと今の時間量のことである 

我々は過去や未来にはいない現在という今という時間の断片の中にいる しかしながら空間というXYZの座標方向は宇宙の果てまで伸びている 時間だけは客観的に観測できない

なぜ観測できないかといえば我々自身が時間の流れの断片であるからではないか ? もしそうでないのなら時間もxyzのような方向性を客観的に観測できるはずである (ここで意識とは何かの定義が必要であるがそれは後述してある)意識の流れが時間軸そのものと一致しているから時間は主観としてしか感じられないを言うと反論の予測がつく 時間は寝てても過ぎるではないかとあるいは時計は勝手に時を刻むではないか これについては意識の階層で説明できる 顕在意識は眠っても 肉体 レベルや細胞レベルはおきている 肉体もそれ以下のレベルもその今に残っているのでありまして時間の流れをそのまま受けている このことは後述する とにかく客観的事実を認識するのは観測側の意識でありこの意識とは時間の中の “ 今 ” という事である 

ところがこの意識は過去にも未来にもない今にしかない つまり意識とは今のことである このことが物理学と意識との接点を与えてくれる 今とは時間の中の一瞬一瞬である  この今から我々は一瞬とも抜け出せない 一瞬といえど時間は流れる一瞬の時間がなくてはわれわれは何かがあるという意識を持つことができない そこにものがあるというのはある空間と一瞬であれど時間の流れがなくてはならない 時間の幅というのが必要である これを |Δt|=Tと書くとする 何かを認識するとは空間的存在 ΔLだけではなく Δtの幅が必要ということである 何かを認識するとき時間も過ぎるのであり意識するということはそこに時間が介在することである 何かに夢中になるとあっという間に時間が過ぎることはみなさんもご経験ありますでしょう

このまま感覚だけでなく客観的時間といわれるものがつまり宇宙そのものが同じようにあっという間に過ぎて行くならばまさに意識と時間は同じだとすぐわかるでしょう しかしながら一瞬の間に客観的時間の方は 1時間を経過していたと時計が刻むから意識と時識レベルとは何か?

生物には感覚がある それは人間ほどでなくてもそれなりの感ずるものがある 光を感じる接触を感じる何か感じている原始的なものがある 何かを感じるということはそこに意識的な何かが 存在するということである なぜなら意識がなくては何も感じられないからである 今の科学ではそれは システム的な機械的な動きであって意識などはないという立場から脱け出てはいない 人だけが意識があると考えるのは実に高慢な考え方だ

しかし昆虫 ゾウリムシ 細菌 ウイルスまで意識があるのかという問題であるが何らかの原始的意識があるかもしれない 少なくとも何らかの感ずるものがあればそれはそれなりの意識があると考える というと語弊がある 感じることそれ自体が意識があるということである 大事なことは痛いとか何かを感ずるということはまず意識というものがなくてはならない あるから感じるのである、ただ意識レベルの違いはある 微生物と人間が同じ意識レベルとは考えられない しかしながら微生物が明るい方へ集まったり何かをつかまえて食べようとしたりあわてて逃げたりこうしたことは機械的に行動していることであろうか? むしろ何かを感じるからこそそういった行動に出ているのではないのだろうか ということはレベルが低くても意識があるということである

突然変異的な選択から偶然に意識のある人間ができあがってくるという説明は無理があるのではないか?

小さな微生物から何らかの感覚があるとしたらそこには意識の流れつまり時間の流れがありその時間の中で何らかの感触を持つわけである 例えばゾウリムシがある時間の中でどれぐらいの感触を持つであろうか?我々が 1秒と感じる感覚はゾウリムシにとっては 1時間かもしれない ;ゾウリムシがそんな感覚を持つわけがないという考えもある そんな感覚があろうがあるまいがそのレベルでは我々の 1秒とは違う感覚の 1秒が流れていると考えられる

人間なら 判断スピードは1秒間にせいぜい 2回~5回 そんなにもないか しLyかし しかしながらコンピューターではものすごい高速処理を行う この行為はどうなのかとの反論がすぐ思い浮かぶ この処理は決定論的ともいえるシステムの流れでありそのつど判断が伴う行為とは違う そのつど判断が伴うという行為が単位時間の間にどれくらいの数あるか?というのが大事なポイントだ この数がもし100回あればそのレベルでは時間の流れが100倍は遅いといえるのではないか ここは一つの大事なテーマであろう 例えば細胞レベルでは1秒間に数万個のたんぱく質を作る その一つのたんぱく質はアミノ酸が100~1000選ばれて構成されたものでありそのアミノ酸はDNAの数億の塩基列から遺伝子情報を選び出し複雑な過程からたんぱく質を作り出す そして細胞分裂は数時間の間に行われるのであり  60億個のヌクレオチドを読み取りを正確にしなくてはならない これらの工程はたんなるシステム的な流れとは考えられない複雑な工程でありわれわれレベルとは又違う別世界であり まさに時間の流れが違うような一つの例である もしそうなら もう一つ下の層では 1秒の間隔が 少し長いという可能性がある 1秒を 1秒と感じる感覚はどんな生物レベルでも同じである しかし生物レベルの違いでは同じように 1秒を感じてもある意識レベルでは 1秒が 1時間なのかもしれない こういうことを考えないと細胞レベル DNAレベルの膨大な処理能力が説明できないではないか つまり 1秒の間にどれぐらい判断処理(機械的ではなく)をこなすのか人間ならばせいぜい 2~3回ぐらいかもしれないがその下のレベルの体で覚えてるレベルではもっとたくさんの判断をしているはずである

1秒というのは感覚として絶対的な基準値である もしこの1秒の中で System的に変化するのではなく自ら判断を 100回やるとしたらその世界では 1秒は1秒でなく1/100秒かそういった時間の流れの感覚がある(正確にはわからない)  1秒は人にとっては同じ時間経過を感じるのでありこの1秒がはるかミクロの世界では 1時間 1日あるいは 1年ということがあったとしても不思議ではない もちろん微生物が時間の流れを感覚として感じてるとは思えないがその世界にはその世界の時間の流れが存在するだろう その変化が人間が感じる 1秒と同じならばミクロの世界で実際起こる変化を説明できるだろうか?

 身近な例ではハエ一匹つかまえることが大変だ ハエが私たちと同じ時間感覚ならつかまえるのはもっとたやすいのではないか ゴキブリもそうだ 小さな昆虫はいざとなると素早い 小さな動物も大変敏捷だ もちろんこれは神経反応が速いで説明できるかもしれないがもっと微細な世界例えば一つの細胞の中のたんぱく質を作る RNAや細胞分裂など単なる機械では説明できない 処理能力からこうした世界が人間と同じ 1秒で進む世界と同じとは考えられない 大事なことはその当事者の感じる時間感覚こそが最も大事であり絶対的な基準であるということである

先ほど原子レベルの意識のことをお話ししました  しかしこのポイントはなかなか理解は難しいかも知れませんが生命が人間まで進化してくる過程で突然細胞レベルなどから意識が発生したとは考えにくいと思いますそ

れでしたら意識は唯物論的に説明ができることとなり生命が突然ミクロのレベルで発生したくさんの階層を偶然の連続でのし上がってきたということになります こんなことは大変希少な確率になり あり得ません むしろ最初から暗在的なレベル層があったと考えた方が合理的ではないでしょうか もちろんこのあたりは頭から否定する論者も多いでしょう でも普通に考えたら私の考えの方がはるかに合理的ではないでしょうか、

私は生命とは何かをずっと考えてきました するとどうしても生命の成り立ちの中心ともいえるたんぱく質とは何か遺伝子とは何かというテーマは外せません まあ専門的に追及はできませんがあらましをお話しすると本当にすごい! たんぱく質が細胞の中でどのようにしてできるのか?

DNAの遺伝子配列は伝令RNAに転写されるのですが何十万のゲノム配列から目的の配列を選択する速さ 塩基配列すなわちRNAのコドンを読み取るということです。それの情報をリボゾームに運び蛋白質を作り上げる過程はこれを偶然とするならその確率は宇宙のすべての星から一つの星を見つけるような確率であり数分で作り上げる細胞の中の精妙な動きはまず設計図がなくてはならないのではかいでしょうか 

アミノ酸を生成してそれをこの速さの中で DNAからアミノ酸ができそのつながりがたんぱく質を作り出し細胞の内外で送り出すこれを見るとまさに DNAからアミノ酸を作り出すのは文字を作り出すこと アミノ酸からたんぱく質を作ることは文字から言葉を作ること たんぱく質から細胞を作ることは文字から文章をつくること細胞から一つの生命体を作ることは文章から一冊の本をつくることと同じだ これは逆に言うと本を作るために文章を書く文章を書くために言葉を選ぶその言葉をつくるため文字が選択されるとも考えられる 体をつくるためにすべての細胞がありたんぱく質が作りだされたともいえる つまり体の設計図がなくてはこれらの働きはできないということです これを説明するのにこれらの過程を時間の順当な流れでは説明できません 過去へ遡ることもできません 唯一これらの時間を不確定にする今にその理由を見出すことでしか説明できないと考えるのです 生命とはそういう意味で二つの重要な基本に条件が必要であると考えられる

(1)意識レベルの一瞬で時間は多重構造をなしている

還元的にもどってゆけばゆくほど客観的時間は同じでもそこで感じる一瞬の時間の流れは長くなるのではないか

(2)統合的なレベルから微細なレベルへ流れる情報系(感覚)が必要である

体で言えば細胞そのものが体を知らなくてもその役目を果たための感覚あるいは細胞自体が一つの構造をつくりたくなるような何かの衝動が必要である このためにはこの一瞬が量子的に重ね合わせで今を作り出している

量子的一瞬でなくてはこの情報系が説明できない

統合的な情報系とは例えば先ほど話したようにミクロレベルから偶然のように細胞ができる そしてその細胞がいろいろく付き合って一つの生物を創り出すなどということは考えられないということである 言い訳のようにダーウィンの自然淘汰説を持ち出したりそんなことでもう細胞レベルやミクロ ナノレベルの説明はできない 臓器一つとってもたくさんの細胞が集まって一つの生物のそのある役目をはたす臓器細胞に変貌していく こんな事は統合的な計画システムがあってこそであり偶然のようにそんなシステムが積み重なって生物ができるわけがない わかっていてもまだ解明されていないため学問上は停滞中ということだろう 

一つの細胞が何万種類の生命を創り出されるこのダイナミックな生命の躍動感は説明できない まだ生命を創り出される場がこの世界にもともとありそれに従い生命が現出すると考える方が自然ではないか ゲノムレベルで言えば RNAも DNAからアミノ酸を選択してくるわけですが何もわからずやっているはずはなく何か意図的なものがあるはずでその衝動を起こさせる情報があるということです この世界ではまだまだ何もわからない世界ではあるが意図的なものを感じます ではそのような統合的システムの糸口はあるのだろうか それが(1)の時間の多重構造で説明できる可能性がある

  (一瞬を感じる時間の重ね合わせ)

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

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