今とは


今とは何か 今の一瞬 過去 未来はない ただ現実の実在するところそれが今 今のみ実のリアリティこれを真実 絶対としなくて他になにがある目の前の実感生きている実感過去や未来は過ぎ去ったりこれからきたるという予感

はすべてまだ実在しない幻想あるのは今今のである この 今なる瞬間を最優先でかんがえなくてはなにがあるというのだろうそれゆえこの一瞬を絶対視すことが理論の所以である しかしそれは理性ではない 今をかんじる感覚である

感覚とはその一瞬をかんじる感覚とは意識ではないか?人間においては意識である 動物では感覚であろうこの感覚を絶体視するならばもっとミクロからこの感覚レベルが発生する根拠がなくてはだめだ突然発生してきたではご都合主義だ いやそれ以下のレベル素粒子レベルいやこの世界が創造された時からその卵がなくては感覚が絶体条件にのはずだからという想定で万物創成は意識ありきということです もう一つは不確定性原理の時間誤差を観測誤差と考えこの一瞬にこの時間誤差の考えを導入したことです

これは不確定性原理が観測をとおして通してでてくる原理であることです  原理ですからこうなるというだけである 

これに客観性の限界を見た気がしますこれは観測者の主観誤差があるとおもいます主観誤差とは時間の誤差であり一瞬誤差であると考えました そこでこの一瞬には素粒子クラスからレベル段階観測量を想定したのですこれは時間量となずけました そして意識は 波動として考えこれを時間量の波とかんがえました観測するとき時間量

の波が発生する まあそういうわけで独自性をもっています 間違った考えだと思う方

もおありでしょう どしどし ご意見を下さい

から

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

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