今論序論

時間量とは何か

時間を説明するには時間量とは何か?の説明が必要です この時間量を究極の最小値まで行き着けばそれはプランク定数の不確定原理まで行きます とりあえずこの不確定原理のお話は後にしてこの時間量からはじめます 時間量とはこの例で言えば枕木にあたります この枕木の長さが不確定場の一瞬にあたりこれを時間量となずけます ???不確定場 一瞬

??なんのこっちゃとなりますがあまり厳格に説明すると肩がこりますので

できるだけわかり易くイメージしやすい お話でいきたいと思います

不確定場とは物理でいう場の拡がりのみではなく時間の不確定もいれ

後から説明するML^2=Tの不確定を時間量と名づけTで表す ここで注意してほしいのはあくまでこの概念は不確定性原理の誤差の範囲でこれからでてくるT M L はΔt  Δ」m ΔLの量子的重ね合わせのことです

この説明はよくわからないでしょうが後ほど不確定性原理でします

といいながらまずこの基本的方向性を大上段からお話しておかなくてはいけません

ここだけは最初から理解できなくても当然のところですが骨の部分ですから書いておきます今論序論

存在するとはなんだろうか  。数はどこまでも小さくできる。円周率でも に無限に小さく計算できる。つまり無限小という概念で現せる しかし、実在は違う 例えば、鉛筆で点を書けばそれはそれなりに範囲を持つ素材となり、どんなに小さくても、そのあとの存在を〜占める領域が必要である。つまり、限界少が、あるということである。物理学では、電子等は、大きさを、もたない。存在として、説明される。もうそれ以上分割できない しかし大きさをもたなくても実在している それは波動として存在している 観測すると量子として振舞う とにかく最小限度の存在である 本質的な存在とは? このテーマを追求した結果こういう考えになりました 

存在のイメージ

ここにに白い紙とその中に丸が書いてあるとする この丸認識されるのはその周りの余白があるからだ だがそれだけでは足らない それを上から眺める視線が必要だ 2次元の紙面の中ではその丸はたんに線にしかみえない それですべてだろうか?もう一つ大事な要素がいる それは時間の流れである 時間がなくては存在そのものがありえないからである なにを当たり前のことを話しているのか?それではこれらの要素で自己完結する理論はないのであろうか

とりあえず次のようなイメージを考えてみよう




下図を自己完結にするにはどうしたらいいだろう?

自己完結とはオッカムの法則と呼ばれるこのもっと単純な解決策があれば複雑なほうを選ぶべきではないという法則である

自然界もそうであるべきでパロメーターが多い現代理論はやはり無理があると考えるべきである すくなくとも少ないほうがいい と考えている

 A

自己完結とはこの二つの丸を一つの存在にしてしまうことである

中の丸は園周りの余白があればこそ存在を認識する ということは二つの次元があればこの中」の丸が認識できるか?そうではない この二つを外から眺める点が必要だ まあこれは三次元ですね ついでに時間が流れないとvしえませんね 時間は少し後で説明するとして

この図を自己完結させたい つまりこの外丸 中丸 矢印以外は存在しないとしたい それには外丸をお椀のように上にそらして下図のようにすると丸は外と内が一つになり開いた空洞が存在認識となる

シンプルな立体ですとこんなのがそうですね  上図のようなイメージは量子論の観測問題からくるもので跡で説明いたしますがこの理論の需要なテーマです 観測すると収束してものの存在を確認するというのが基本的考えになっています

imaron1 今論 生命とは 主観性と客観性の統合

この理論はたくさんの次元を導入したり素粒子のようにそのも元は力子を説明するため新しい粒子を予言したりパラメーターが増えていく なぜ増えるのか それは客観性のためでしょう 大体主観性を無視して理論を構築したところでこの世界を統括して説明するというのには無理がある 主観も組み入れ理論を統合しなくてはできないとかんがえ考えなくてはいけないと思います 今論はそういう意味でまったく新しい論理です 主観と客観

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